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五郎正宗孝子伝

一、

ところ相州鎌倉おもて 雪の下にて住まいをなさる

刀鍛冶屋の行光こそは 玄関構えの建物造り

日々に栄える弟子たちゃ増える 今日はお盆の十六日で

盆の休みで弟子たちどもは


二、

暇をもらって遊びに行けば 後に残るは五郎が一人

そこで行光 五郎を呼んで そなた呼んだは ほかでもないが

是非に聞きたい そなたの身上 言えば五郎は 早目に涙

聞いて下さい親方様よ


三、

家の恥をば話すじゃないが 私しゃ京都は三条通り

三条通りは たちばな屋とて 宿屋稼業で暮らしていたが

つもる災難 さて是非もなく 家は火事に手丸焼けとなり

わしと母ちゃん乞食と同じ


四、

九尺二間の裏店住まい 母は洗濯 縫い針仕事

私しゃ近所のお使いなどで 細い煙で暮らしてが

お墓参りの その帰り道 あまた子供に取り囲まれて

五郎さんには父ちゃんが無い


五、

父の無い子は手てなし子じゃと 言われましたよ のう母さまよ

父がこの世にいる事なれば 是非に逢いたい 逢わせてほしい

泣いて頼めば 母親言うに 五郎父ちゃん 関東で鍛冶屋

さほど逢いたきゃ 逢わせてやると


六、

家財道具を皆売り払い 少しばかりのお金に変えて

下りて行くのが東海道の 通りかかった箱根の山で

持ったお金は族にと取られ 母は持病で さしこみがきて

手に手尽くしたその甲斐もなく


七、

遂にあの世へ旅立ちました 死する間際にこの短刀を

父の形見と私にくれて あとは言わずにそれなにけるが

西も東もわからぬ土地で 母と別れてどうしょうぞいと

思うところに桶屋の爺が


八、

通りかかって助けてくれた 恩は死んでも忘れはしない

父に逢いたい 桶屋をやめて 刀鍛冶にとなりましたのよ

訳というのは こういう訳よ 聞いた行光 不思議に思い

五郎持ったる 短刀とりて


九、

中身しらべてびっくりいたす 五郎尋ねる その父親は

わしじゃ藤六 行光なるぞ 思いがけない親子の名乗り

親はなくとも子は育つもの 様子たち聞く 継母お秋

障子蹴破りその場にいでて

  

十、

やいのやいのとあの捨て言葉 これさまちゃんせ 相手の女

腹を痛めて生んじゃる子じゃと 思いあきらめ世話しておくれ

言えばその場はそれなにけるが くやしくやしが病となりて

軽くなるのが三度の食事

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